人と自然の共生の智恵をつなぐ

対馬里山繋営塾 TSUSHIMA SATOYAMA KEIEIJUKU


 
   
   
  志多留地区について
About SHITARU
 
     
 

地図  志多留は国境の島「対馬」にあります。対馬は南北およそ72km、東西およそ18kmの細長い島です。日本と大陸との中間にあり、その地理的条件から、古来より大陸と日本をつなぐ窓口のような働きをしてきました。朝鮮半島との貿易の歴史は長く、今なお残る多くの文化財が、そのつながりを伝えています。
 古来より、この対馬を通って、様々な文化や技術が大陸からもたらされてきました。漢字や仏教といった、今の日本を形作っているものも、対馬を通って大陸から伝来してきたものです。対馬には、その伝来の歴史を伝える風習や、言い伝え、その当時の品種などが数多く残っています。まさに、日本人の原点を探るルーツが対馬にあるといえるでしょう。
 また、自然環境も非常に独特です。その昔、日本と大陸が陸続きであったことを受け、大陸の影響を強く受けたユニークな生態系が形成されています。日本本土にも生息している種以外に、日本では対馬にしか生息していない大陸系の種(ツシマヤマネコもこの仲間です!)、対馬が島になってから進化した対馬固有種などが入り混じり、日本列島の形成や種分化の歴史を紐解くカギを提供しています。渡り鳥の中継地点としても有名です。



対馬地図

 対馬の北西部にある集落、志多留(したる)地区。私たちが、活動拠点としている地域です。
 ここは、対馬の考古学の発展の引き金ともなった志多留貝塚が発見された地域でもあり、縄文時代から人が暮らしていたことが分かっています。三千年以上の集落の歴史があるのです!
 この志多留貝塚からは、稲穂の採集に使われたとされる石包丁が出土し、すでに弥生時代の初期には、稲作が行われていたことの証拠になっています。稲作の歴史は、二千年にもわたります。
 深い谷が、一年中途切れることなく水を運んできます。「志多留」という地名の由来も、「(水が)したたる」から来ていると言われています。広い山から水を集めてくる深い谷。この地形が運んでくる豊富な水が、まだ灌漑技術が整っていない時代には、田んぼを作るのになくてはならない環境だったのでしょう。
 そんな志多留地区周辺には、大陸からの稲作伝来の歴史を思わせる、こんな伝説が残っています。
《あるとき、稲穂をくちばしにくわえた一羽の鶴が川に降り立ち、その稲穂を落としていきました。民は、鶴が運んできたその稲穂を拾って、ここに水田を作りましたとさ》
志多留の隣の集落は「伊奈(いな)」。稲作の「いな」がその由来だということです。「鶴鳴橋」「穂流川」「垂穂橋」…etc.その伝説を伝える地名も随所にみられます。

←志多留地区の航空写真(1993年)
山、川、畑、集落、浜、海…すべてつながっている


 私は、2012年の冬、この志多留地区に一目惚れして移住してきました。
 田んぼだけではなく、山、川、畑、集落、浜、海…里山を構成するすべての要素が、志多留地区内には揃っています。そして、それらが有機的につながり、人々の暮らしや里山の生きものを支えています。
 私には、これらが宝の山であり、真っ白なキャンパスに見えました。その土地にある資源を活用し、物質循環を可能にする地域づくりを行う上で、必要な要素はすべて用意されているように思えたのです。
 この地で三千年という時間をかけて育まれ、守られてきた自然と人々の共生の智恵を、自分自身もここで暮らしながら学び、伝えていきたいと思っています。





志多留の人口構成 志多留地区の人口は、現在62名。3人に2人はお年寄り、という超高齢化集落です。かつて500人弱の人が住んでいたというこの集落も、今では空き家が目立ちます。
 
 人口の減少は集落機能の低下を招きます。集落からは子供の声が消え、お祭りなどの伝統行事も1つ、また一つと消えていきました。

   →志多留地区の人口構成
(H27.4.1現在)
    20歳以下の子どもはおらず、高齢化率は
    6割を超えています




 稲作伝来の地とも伝えられ、古くから人々が営みを続けていた集落ですが、若者の流出が後を絶たず、長い間人々や里山の生物を育んできた水田や畑も、今やほとんどが放棄されています

←耕作放棄地が広がる志多留の谷
一年中水が切れることなく、稲作伝来の地を誇る志多留の谷も、見る影もありません。



 志多留はその昔、「学者村」とも呼ばれていました。就学率がとても高く、子どもに熱心に勉強させる地域でした。今志多留に住んでいるお年寄りたちの中にも、校長先生をされていた方がたくさんおられます。稲作が盛んだった志多留は、豊かに暮らせた場所だったのでしょう。豊かだったからこそ、勉強をさせてあげられた。その結果、子どもたちは志多留を、島を離れ、故郷はどんどん過疎化が進んだ。。。なんだかとても皮肉ですね。豊かな土地に人が残れない、という矛盾を感じます。「志多留」という名前の通り、志を持つ人が、たくさん(地方に)留まることができる社会になればいいな、といつも思います。
 
 昔から水田や木庭作(焼き畑)が盛んだった志多留は、対馬を代表する里山のいきもの、ツシマヤマネコの生息密度も高い地域です。九州大学や琉球大学のヤマネコ研究グループの調査地としても長年利用されており、生態研究に貢献しています。しかしこのまま水田が消失し、土地が乾燥化していったら、今のような高い密度を保つことは難しいと考えられています。

 三千年の集落の歴史。二千年の稲作の歴史。その中ではぐくまれてきた自然との共生の智恵、結果としてそこにすまう生きものたちの息吹。その歴史と智恵が、過疎高齢化の波によって、今、途絶えようとしているのです。




 65歳以上の高齢者が半分を超えた地域は「限界集落」と定義され、共同体としての機能が急速に衰えてしまい、集落の維持が難しくなるといわれています。志多留は、定義からすれば、まさに限界集落です。しかし、住んでいる限りでは、まったく悲壮感がありません。確かにお年寄りばかりですが、みんな元気で、野菜づくりなどに精を出しています。作った野菜は、「おすそ分け」という形でいろんな人々をつなぎます。地域の絆も強く、冠婚葬祭も地域で助け合いながら行っています。
 なんて豊かな暮らしだろう。移住者である私には、そんな風に感じられる志多留の暮らし。そこには、これからのライフスタイルのヒントが詰まっているように思いました。大好きな志多留の人たちの故郷を、消滅させたくない。この地域で私たちのような若い世代
(志多留では、60代は若手、と言われますので、そういう意味では、私はかなり若手です 笑)が暮らしていけることを実証したい。この地域の豊かさを証明して、この地域で仕事を作りたい。いつしかそんな風に、思うようになりました。

 子どもも、子どもを産む世代の夫婦もいない志多留では、この先自然と人が増えることはありえません。集落を存続させ、歴史を繋ぐためには、外から人を呼び込むしかない。ではこの地区で人を集める魅力は何なのだろう。
 それは「学び」だと思いました。この場所に来て、私が一番に感じたことは、途切れない水がある、山がある、海がある、田畑が作れる、、、人間が生きていくために必要な資源は、すべて揃っているということでした。だからこそ、縄文という時代から、人が住んでいたのでしょう。自然から恵みを取り出す知恵や技術、その営みの中で育まれてきた里山の生きものたち。これらを学ぶフィールドとして最適だ。「学び」を一つのキーワードとして人を呼び込もうと思い立ちました。

 そんなこんなで、今、志多留地区では「学びによる交流」を盛んに行っています。

・ 域学連携事業
 域学連携とは、「地域」と「大学」との協働により、地域の課題を解決しようという取り組みです。学生や教員が地域に入り、地域の住民とともに地域づくりに継続的に取り組み、地域の活性化を後押ししています。志多留は、対馬市の域学連携事業の拠点になっています。
域学連携
 地域は担い手を求めています。一方で大学では、実践的な研究ができる場や人材育成のフィールドとなる場を求めています。地域と大学のそれぞれのニーズをうまくマッチングさせることで活性化を図りたい。それが「域学連携」の基本的な考えです。
 この事業の一環として、志多留地区では、中長期のインターン生の受け入れなどを行っています。
 

・島おこし実践塾
島おこし実践塾
 毎年夏に、全国から30名ほどの学生や社会人が集まり、志多留を舞台に、5泊6日の合宿形式で地域づくりを学びます。テーマは、「生物多様性と地域づくり」「有害鳥獣対策」「空き家の問題」「教育と福祉」「水産業が抱える課題」「地域の伝統と祭り」など、多岐にわたります。講義の他に、実践活動やグループディスカッション、ヒアリングによる調べ学習などもあり、充実した内容になっています。

・古民家再生塾
古民家再生塾 古民家 障子貼り
 電気や灯油がない時代でも、人々は自然の働きや仕組みを理解し、それをうまく活かしながら暮らしてきました。古民家にはその知恵が詰まっています。昔ながらの人々の暮らしの知恵に、現代の技術でちょっとアレンジを加えることで、快適に環境へ負担をかけない暮らしが実現するのです。古民家再生塾では、自然の力をうまく取り入れた家づくりを学びます。
 
>詳しくは「活動内容」をご覧ください。

・木庭作の復活
 対馬の伝統的な焼き畑農業である木庭作(こばさく)。平地の少ない対馬では山を焼き、斜面にできた畑で作物を作っていました。麦、そば、豆、雑穀、芋などを作り、3年ぐらい耕作したら再び森に戻します。そして、15年から20年ぐらいかけて森を育て、再び火入れをして畑を作るのです。昭和40年ごろまでは盛んにおこなわれていた木庭作ですが、現在は全く行われておらず、地元の人でも知らない人も少なくありません。この伝統農法をもう一度復活させようと、日本大学のプロジェクトが志多留で始まりました。山を切り開き火を入れて蕎麦をまいたのが2011年の夏。面積が小さく、あまり収量はとれませんが、風味の良い、おいしい蕎麦が出来上がります。

火入れ 木庭作


このような活動を事業として継続していくために、一般社団法人を立ち上げ、志多留に事務所を置いています。詳しい事業内容は、こちらをご覧ください。
 一般社団法人MIT(ミット): http://mit.or.jp/

 
     
 
 
 
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ロゴ・イラスト:重原奈津子 構成:川口幹子